キリシタンの軌跡を追え!1(旧萩市編)


まずは旧萩市エリアから。
旧萩市エリア
萩キリシタン殉教者記念公園 熊谷美術館(キリシタン墓・キリシタン茶碗) 長寿寺(キリシタン墓・マリア観音)
亨徳寺(キリシタン灯篭) 弘法寺(キリシタン灯篭) 蓮池院(キリシタン灯篭・バテレン墓)
大照院(京極風灯篭) 善福寺(キリシタン灯篭) 萩カトリック教会
観音堂(キリシタン灯篭) 聴音寺跡墓地(お立山)  椿瀬の椿 

萩キリシタン殉教者祈念公園
萩キリシタン殉教者記念公園 ではスタートしてみよう。
キリシタンの軌跡を追っかけるにあたり一番分かり易い場所、【萩キリシタン殉教者記念公園】だっ!

行き方は萩城あとの近く、萩疎水の一番南の橋、深野橋を渡ってまっすぐ、今流行り?の見蘭牛の食べれるレストランを左手に見ながら通り、本当にそうなのか?というようなHホテルの入り口を右手に過ぎた所にある。
こんなところにHホテルなんて・・・。罰当たりじゃないのか?萩市民・・・。

公園のほぼ中央にこのような記念碑が立っている。まわりには結構な巨木もある。

オイラは9月下旬に訪れたので各所に彼岸花が咲いており、非常にそれらしい雰囲気をかもし出していた。

宣教師ビリオン氏によって建てられた殉教碑。
もともとは萩城築城の際、石垣建造時に五郎太石という石垣の間に詰める石が盗難されるという事件が起きた。で、当事者として処罰されたのが熊谷元直、天野元信の一族11人であったそうだ。もう一方の益田元祥は無罪という形になったそうだ。
色々説はあるようだが、毛利輝元としてみれば熊谷、天野両氏がキリシタン信者であり良い口実になったのが事の真相だったようだ。

また長崎の浦上から萩に流刑されて殉教したキリシタン達も奉る形で1892年に建てられたそうだ。
記念公園全景 ←祈念公園全景。
この左手は公園になっており落ち着いた雰囲気になっている。
質素なお墓たち
→非常にこじんまりした質素なお墓が並ぶ。

熊谷美術館(キリシタン墓・キリシタン茶碗)
今回はキリシタンを取り上げているんで紹介しないが、日本最古のシーボルトから贈られたピアノや伊藤博文 直筆の書、西郷隆盛 直筆の書など貴重な資料が盛りだくさんだ。
庭園にも古木や数々の灯篭など落ち着いた時間を過ごせる。
入場客が多い時は知らんが・・・。

熊谷の名とキリシタン灯篭など 五郎太石事件の熊谷元直の関係かと思ったらそうではないようだな。
キリシタン灯篭 キリシタン灯篭 聖母像石

これがキリシタン灯篭。


左の写真では分かり辛いが、灯篭の下の方にマリア様と思われる像が彫ってある。

かなり風化がすすんでしまって彫られた物が認識しづらい聖母像石。
キリシタン灯篭の使い方
キリシタン灯篭の使い方
日頃は下半分を埋めておく。礼拝時は掘り起こし下に彫ってあるマリア様を出す。
横から見ると灯篭を引き上げる時に使ったであろう角木を差し込める穴が開いている。
キリシタン茶碗
キリシタン茶碗
鮮明に描かれた十字架が見て取れる。何処に展示してあるかは探してみてね。
熊谷美術館インフォメーション
場所 萩市今魚店町47番地(いまうおのたなまち と読む)
入場料 大人700円  小人400円  団体は2割引
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 日にちは分からないが年末年始
開館時間 9:00〜17:00
駐車場 無料駐車場有り(かなり広い)
連絡先 TEL;0838-25-5535  FAX;0838-24-3773

長寿寺(キリシタン墓・マリア観音)
所在地 〒758-0032 萩市北古萩13

今回取り上げたキリシタン墓やマリア観音の他に不動明王(県指定重要文化財)、十三重石塔(市指定文化財)、善光寺型阿弥陀如来や入江九一の墓など見所の多いお寺。
1611年からの歴史だそうだ。

残念ながらマリア観音は見る事ができなかった。今後もあるかどうかは不明だが、萩博物館の雛人形展示期間中に貸し出されているそうで、その雛人形の中に混じって見る事ができるかもしれん。
←お墓が建ち並ぶ中にひっそりとあるキリシタン墓。
→@の方の鍵十字の掘られた石。
←Aの石がこれ
同じく鍵十字が掘られている。
十三重石塔(市指定文化財)がこれ→
先端が取れてたけど。

亨徳寺(キリシタン灯篭)
所在地     758-0032 萩市北古萩66
三門が文化財になっていたり萩市では大きい道路に面していたりで、観光コースにもなっているお寺。
1452年からの歴史だそうだ。
本堂の右手に灯篭があり解説も出ている。
熊谷美術館の物と使い方は同じなんではないかな。
→わずかにマリア様がわかるぐらい風化している。

弘法寺(キリシタン灯篭)
弘法寺 所在地      758-0025 萩市土原606
なんか807年に弘法大師が唐から帰朝の際に(今は無いんだが)松本川の中洲に漂着した場所が現在の境内なんだそうだ。
でも、漂着って弘法大師はいわば遭難した形で帰ってきたのか・・・?
今はしっかりと三角州の中にあるんだが。
ココは松の巨木がひしめき(と言ってもマツクイムシの被害は甚大)市の指定樹木にもなっている。
肝心の灯篭なんだが、十字架をデフォルメした外観に観音様に似せたマリア様が彫ってある。
ぱっと見て、とても十字架信仰には思えない造りなんだが、分かった上で見ると確かに十字架が浮かびあがる。当時の苦肉の策が見て取れて非常に感慨深い。
しかも真中あたりからポッキリ折れた跡が残っており、修理した跡が残っている。
後述する善福寺の物と非常に近い。
灯篭 ←ハッキリ言ってこの灯篭は見つからないと思うぞ。
住職は不在だったので、お寺の家の方に聞いて初めて分かったぞ。
「これは、札を立てておかんとわからんじゃろ。」だそうだ・・・。
近く案内札が立つと思うぞ。
分かりづらい灯篭
→だって何気なくあるんだもん。普通のお墓の横に・・・。

蓮池院(キリシタン灯篭・バテレン墓)
所在地      758-0071 萩市瓦町47
萩市において大きい病院にはいる玉木病院の裏手にあるお寺。
観光駐車場に停めて歩くと良い。
バテレン墓は開設も出ておりすぐ分かる。
←萩市八十八ヶ所の78,79番札所の横に立っている。
→実は民家の庭に埋まっていたのが見つかってここに置かれるようになったそうだ。
みんな、庭を掘ってみよう!
掘り込み技術など、旧福栄村の鉄心寺跡にあるバテレン墓より技術的には凝っているが、顔に表情が無いのが悔やまれる。(いいのか?こんな感想)

この六面の中の者達はミサの行動手順が彫ってあるそうだ。
こういった形式のお墓は宣教師のお墓なんだそうだ。

大照院(京極風灯篭)
大照院 所在地    758-0061 萩市青海4132
初代萩藩主と偶数代の藩主が葬られた毛利家の菩提寺。
もともとは月輪山観音寺というお寺だったそうだ。
ここは巨木がひしめき、お盆の万灯会(境内の灯篭に火がともされる)他 国指定史跡や文化財など見所はたくさん。
立派な観光コースにもなっている。
また精進料理が楽しめたり(要予約0838-22-2124)、除夜の鐘がつけたり、見て体験できる意外と敷居の低いお寺だったりするぞ。
京極風灯篭 十字架のような穴を開けた灯篭を京極灯篭と言うようなんだが、それに非常に酷似した灯篭がこれ。
六面のうち五面に十字が彫られている。
萩・津和野キリシタンの道マップ・パンフレットには答えが書いてあるんだが、問題はその場所だな。
なんせ灯篭が600本以上もあるんで探しようがないぞ。
撮影時にパンフレットを持っていなかったし、そもそも熟読していなかったんで拝観料を払う時に聞いてみると、よりによって・・・。
問題の場所は・・・。
この大照院、東光寺と共に毛利家の菩提寺になる。
あくまでも毛利家が萩藩となっての菩提寺で、毛利輝元以降の秀就が初代藩主となる。
大照院に初代と偶数代の藩主夫妻の墓があり、東光寺に奇数代の藩主夫妻の墓がある。
で、肝心の灯篭は↑の囲いのある立派なお墓の横、しかも囲いの内側にある。
それも初代藩主、毛利秀就のお墓ときたもんだ・・・・。
「悪戯しなかったら中に入っても良いですよ。」って誰が悪戯するかいっ!
その後、長男ゲンと二人で手を合わせて拝んだ後、「おじゃまします。」「失礼します。」を連呼しながら下手下手に敬いながら撮影。
静かな境内におかしな会話が響く。
ただし撮影時、思いっきりお墓に尻を向けていた気がしないでもないが・・・。

ある種貴重な写真かもしれん。他に何も写ってなさそうだし(汗

善福寺(キリシタン灯篭)
善福寺 所在地     758-0031 萩市川島197
藍場川の側にあり、松の巨木があったり風情のあるお寺。
近年、椿大橋や道路の整備が進み周りの景観が急速に損なわれつつある。

肝心の灯篭なんだが、門をくぐってすぐ右手にある。
しかも後ろに立派な案内板も立っていて非常に分かりやすい。
灯篭全景 形もつくりも弘法寺のものと非常に似ている。
ひょっとすると作者は同じなのではなかろうか?
キリシタン灯篭

萩カトリック教会
所在地 〒758-0025萩市土原3区564

隠れキリシタンとはちょっと違うかもしれんが、キリスト教と言うことで、外す訳にはいかないだろう。萩市のメイン道路である国道191号線沿い、萩東中学校の対面に大きな十字架を持った建物がある。そこが、萩カトリック教会。
殉教者と所縁のある地ということなのか、町の規模や人口に対しては立派な教会だと思う。
←教会内の感じ。
誰もいなかったが、ドアが開いていたので黙って入ってみた。(泥棒じゃん)
煩悩がうずまく人格なのか、正直、一人だと落ち着かないぞ。
信者の方だと心が落ち着くんだろうな。
→マリア像
手入れがほどこされているんだろう。紫外線焼けなどの痛みは見当たらなかった。

観音堂(キリシタン灯篭)
同じ鶴江にありながら↓の聴音寺跡に比べてはるかに分かり易い場所にある。
が、道が細く(離合は不可能)反転するには行き止まりまで行くしかなく、駐車場も無い。
この日は神明社の鳥居の下が空いていたので駐車できた。

高台にあり、階段を登って行く。
本堂に向かって右手の方にある。

ここはモアイ像を彷彿させるものや、首がとれてしまったのを素人が修理したようなアンバランスなものなど味のあるお地蔵さんが多く見られた。
←お地蔵さんや灯篭に紛れてキリシタン灯篭が立っている。
風化が進んでおり十字架のデフォルメはしいたけのような状態になっていた。
しかしながら、地元の人は聞く人聞く人全てその存在を知っていることから大事にされている事が分かる。

聴音寺跡墓地(お立山)
今企画において、間違いなく発見時自己満足度のトップはここだと思う。
ひょっとしたら信者の方も訪れた人は少ないのではなかろうか?
友人TAROと鶴江台地の香川津地区、鶴江地区を行ったり来たりしながら、最後はミカン畑用のコンクリート道の行き止まりで、偶然いらっしゃった地元のおばちゃんに聞き取り調査をして見つけた。場所をある程度聞いても難しかったな。
「ここの道をもどって誰々さん家の方に曲がったらプレハブみたいな建物があるからそこをおりていくと十字架が立っとるからそこじゃ。でも十字架しかないよ。」
って言われてもほとんど解読できなかったぞ・・・・。
しかもそれらしい景色というか同じような場所が続くので一人で行ったら断念していただろうな。

なんとなくそれっぽい場所に出た後も「そこをおりていく」の言葉におりすぎちゃって「萩港定期船のりば」の反対側に出ちゃったんですけど・・・。
それっぽい場所の細道をさ迷う2人の中年男達。前述の「誰々さん家」らしき敷地に入った時にそれは目に飛び込んできた。「あっ、あれじゃないか?」←最初に発見した時の風景。
じつは裏側だった・・・。
で、やっと辿り着いたのが上の写真。確かに十字架かしかないな。その十字架の下には解説碑がある。

内容は長いのでこれを見てください。
←「萩港定期船のりば」を利用したことのある人はひょっとしたら見た事があるのでは?
→観光客はおろか萩市民でもこの景色を見た人は少ないだろうな。一部の釣り人か鶴江地区の一部の人ぐらいしか用事なさそうだし。

椿瀬の椿
旧川上村に椿瀬と言う地区がある。旧萩市との境となっている。
ここに「椿瀬の散り椿」と言うのがあって、その咲き具合を見に行って見つけた。

椿瀬地区の入り口付近の山肌に椿がある。
椿の側まで行けるが急斜面を登るのでくれぐれも注意を。
また民家の裏手になるのでその辺りも気をつけた方が良いと思うぞ。
←お世辞にも手入れが行き届いているとは言いがたいので、ひょっとしたら夏は草木の下に隠れているのかもしれん。
→つくりは明らかに福栄地区で見られる特徴を兼ね備えているのでキリシタン墓で間違い無いと思うぞ。

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